Main2-13:見た事のない顔
「…昨晩、イシュガルドの監獄から脱獄した犯罪者が1人出たらしい。
しかも、その犯罪者は……以前、お前を痛めつけた人攫いの一味だ」
グシャッと紙を握りしめながらそう言ったヴァルの表情は険しいものだった。
とある昼下がり。
各々がやるべき事を一段落させて落ち着いていたその日、ガウラとヴァルはアフタヌーンティーを楽しんでいた。
そんな中やって来たザナの鷹…足に括り付けられていた紙を手にし読んだヴァルはガウラにそう言ったのだった。
同時にガウラの表情も強ばる。
彼女にとってはあまり思い出したくない出来事だからだ。
「もしかしたら、逆恨みでお礼参りに来るかもしれないから気をつけろとの忠告だ」
「なるほど…」
「一味の内のどいつかは分からない。
だが、あの中で危険なのは、あの時1番気が立っていた奴だろう。
そいつが脱獄した1人だとしたら、かなり危険だ」
真剣な眼差しを送るヴァル。
「そいつはあたいの姿を見てない。逆恨みをするなら、間違いなくガウラを狙うだろう。
それにあたいの姿を見たのは2人。
内1人は身体が不自由で脱獄は不可能。
そのことから、ガウラが標的になる可能性が1番高い。
だから、気をつけてくれ」
「わかった」
その日からというもの、出かける際は細心の注意をする事となった。
必ず連絡を取り合い、予定の合う日は共に過ごす…それが約3ヶ月続いた。
取り越し苦労であってほしい、なんて思ったある日、事件は急に訪れた。
ーーーーー
ある日の夕刻、ウルダハに出かけていたガウラは通りに入ったところで男とぶつかった。
男はよろけ倒れ込む。
「すみません!
大丈夫ですか!?」
慌てるガウラに男は弱々しく喋る。
「こ、こちらこそすみません…ここ何日も食料にありつけず、フラついてしまって…」
その言葉を疑うこともなく、ガウラは「何か食べ物があれば」と言いながら荷物を漁り始める。
だがそれがいけなかったのだ。
男は急に物凄い勢いでガウラに組み付き、何かを嗅がせた。
「んんっ!?」
これはまずい、と直感が告げる。
ガウラは咄嗟に抵抗しようとしたが、嗅いだそれが強い薬品のようで、すぐに気を失ってしまった。
男はそれを見て、嫌な笑みを浮かべる。
そして男は持っていた麻袋にガウラを押し込むと、それを担ぎウルダハを出た。
ーーーーー
どれくらいの時間が経っただろう。
聞き慣れた焚き火のパチパチという音でガウラは目を覚ました。
視界はボヤけ、意識は未だ朦朧としている。
頬と体は地面に触れているからかヒンヤリとしている。
土の匂いもする。
(何が、起きてるんだ?)
状況を確認しようと身体を起こそうとするが、手が後ろで縛られているため上手く起き上がれない。
そこで彼女の意識は次第にハッキリしてきた。
「んんっ!?」
口には猿轡、その異常な状況に何が起きたのか必死に思い出そうとする。
(最後に覚えているのはは男とぶつかった時…あの男がやったのか!?
兎に角ここから逃げた方がいい!)
状況を理解したガウラは、何とか身体を這わせてでも洞窟から逃げようとした。
「やっと目を覚ましたか…」
その声と共に人影が見えた。
「っ!」
その人影は焚き火の灯りに照らされ、正体を見せる。
あの時ぶつかった男…そいつはガウラの元へゆっくりと歩み寄った。
「久しぶりだなぁ、嬢ちゃん」
彼女の前でしゃがみ込んだ男はフードを外した。
痩せこけてはいたものの見覚えのあるその顔に、ガウラは恐怖を覚えた。
それもそのはず、あの時の事件で会った人攫いの1人だったからだ。
目を見開くガウラに、男はまたも嫌な笑みを浮かべる。
「どうやら、覚えてたみたいだなぁ?」
「っ…!」
「脱獄して3ヶ月、ずっとあんたを探してたんだぜ?
あの時、あんたが金ヅルを逃がさなきゃ、俺はこんなことになってなかったんだっ!」
苦々しく言い放つ男。
「おかげで、美味い酒を飲むことも、女を買って楽しむこともできねぇ。
その責任は取ってもらわねぇとなぁ?」
嫌な笑みを浮かべたまま、男はガウラを見る。
その目線はまるで全身を品定めするようで、ガウラは一瞬の恐怖を覚えた。
「その綺麗で可愛い顔が、屈辱に歪むのが楽しみだ」
男はそう言うとガウラに手を伸ばし覆い被さる。
(こいつ、まさか…!)
男が何をしようとしているか理解したガウラは、唯一自由に動かせる足で必死に抵抗する。
「チッ!大人しくしやがれ!」
女と言えど力は強い方で、その抵抗に男は悪戦苦闘する。
一瞬の隙をつき、ガウラは男の腹に蹴りを喰らわせた。
男は後ろに倒れ、腹を抑える。
(兎に角逃げなければ!)
ガウラは必死に外へと這うが、その速度はあまりにも遅い。
蹴られたことで怒りが増した男は、ガウラに歩み寄ると胸ぐらを掴み力任せに言い放つ。
「このアマぁっ!!!!」
「ぐッッ!!?」
その言葉と共に痛みを覚えた。
男が彼女の右頬を殴ったのだ。
「自分の状況が理解できていないみたいだなぁ!?」
そう男が怒鳴ると、ガウラの着ていたシャツを力任せに引き裂いた。
露になる色白な胸元。
これから男がしようとしていることを知ってしまっているからこそ覚える恐怖。
その恐怖に頭が真っ白になるガウラ。
男はお構い無しに1本の短剣を取り出す。
それは、護身用にガウラが持っていた物だった。
男は短剣を彼女の首に当て、顔を近づける。
「大人しくしてりゃ悪い様にはしねぇ。
痛い思いはしたくないだろう?」
「……っ」
男はそう言うと、彼女の左頬をベロンと舐める。
その感触に激しい嫌悪感を覚えた。
男は顔を離すと、持っていた短剣をガウラの肌と下着である胸当ての間に差し込み、切り裂いた。
隠されていた胸が、さらけ出される。
男の手が胸に伸びる。
ガウラはこれから始まる行為に恐怖し、ぎゅっと目を瞑る。
その時。
洞窟の入口の方で何かが着地する音が聞こえた。
「なんだっ!?」
驚いた様子で振り返る男。
ガウラも同じく驚いた様子でぎゅっと閉じていた目を開けて音がした方を見る。
黒い影。
白く鋭い瞳がギラついている。
(…ヴァル)
そのギラつく瞳を見たガウラは、その人影が自分を助けに来たヴァルだと気づいた。
人影は静かに言い放つ。
「その子に…何をしようとしていた?」
ギラついたままの瞳は、明らかに殺気を放っている。
邪魔をされ怒りを覚えた男は、その殺気に気づいていない様子だった。
「なんだテメェ!
邪魔すんじゃねぇぇええっ!!」
怒鳴り散らしながら、男はヴァルに突っ込んでいく。
すると、ヴァルは一瞬で間合いを詰め、男を蹴り飛ばした。
焚き火近くに転がる男の元へ、ヴァルはゆっくりと歩く。
灯りで露になった彼女の表情は、ガウラが今まで見た事もないようなものだった。
(見た事のない顔だ)
未だ真っ白な頭の中浮かんだ思考はそれだった。
「くっそ!」
怒りが収まらない男は上半身を起こしヴァルを見上げた。
だがその冷徹な眼差しを見て、男は小さく悲鳴を上げるだけだった。
「もう一度聞こう。
お前は、その子に、何を、しようと、していた?」
言葉をひとつひとつ強調し口にするヴァル。
それに何かを察したのか何なのか知らないが、男は叫ぶように言い放つ。
「俺はこの女のせいで散々な目にあったんだっ!!
だから、その代償を支払わせようとしただけだっ!!」
「そうかい……」
ヴァルがそう答えた瞬間、男の絶叫が洞窟内に響き渡る。
それと同時に何かが落ちる音がした。
(血の臭い…)
ヴァルは男の両腕を切ったのだ。
吹き出す血とその臭い、男の絶叫が再びガウラの思考を停止させる。
「お前の理屈で言うと、散々な目にあったら、相手に代償を払わせないといけないんだろ?」
頭に響くヴァルの声。
ヴァルの瞳は依然として殺意を宿したままだった。
「お前は以前、人を攫い、それを逃がしたその子に暴力を振るった。
そして更に今、その子を攫った。
なら、その代償をお前が払わないと、だろ?」
ヴァルに詰め寄られ、男は震える。
(………)
ガウラは目を見開き固まっている。
見たこともないヴァルの様子、男の絶叫、落ちている両腕、血の臭い…それらがガウラの思考を停止させている。
それから何が起きたかはあまり覚えていない。
ヴァルの冷徹な言葉と男の絶叫、血生臭さだけが記憶の片隅に残っている。
戦場で怪我をし血を流すなんてことはよくあるし目の当たりにすることもあったけど、あの時とは違う何かがガウラを恐怖へと導いた。
「ガウラっ!!」
名を呼ばれ言葉を放った相手を見る。
その相手の表情は、辛さと後悔が入り交じっているようだった。
相手がガウラに駆け寄ると、彼女の手を縛っていた縄を切り、猿轡を外す。
「……ヴァル…」
ようやく放てた声は掠れ、震えていた。
これ以上なんて言葉をかければいいのか…どうすればいいのか分からず、ガウラは視線を逸らす。
しばらくの沈黙。
すると、ヴァルはガウラの右頬に手を添え、静かに「帰ろう」と言った。
「……うん。帰ろう」
そう答えると、2人はテレポで自宅へと飛んで帰った。
ーーーーー
自宅へ到着するや否や、ヴァルは突然ガウラの腕を掴み早足で家の中へと入っていった。
「ちょっ、ヴァル!?」
ガウラは驚き声を上げるが、そんなことはお構い無しにヴァルは腕を掴んだまま2階のシャワールームまで進んでいく。
服を着たままシャワールームに入ると、彼女はシャワーの蛇口を捻った。
一瞬でずぶ濡れになる。
ヴァルにかかっていた血も洗い流されていき、今まで感じていた血の臭いは薄れていった。
「あの男に、何をされた?」
ヴァルは俯いたまま静かに尋ねる。
「……え?」
突然の問いに困惑するガウラ。
ヴァルはガウラの両肩を掴み、もう一度問うた。
「あの男に何をされたんだっ!?」
先程とは違い、叫ぶように尋ねるヴァルの表情は、またも見た事のないものだった。
怒ってるような、泣いているような…似た表情は何度か見たことあったが、今日のような必死な様子はガウラの知らない一面だ。
「えっと…頬を、殴られた」
「……右か」
「う、うん…」
ヴァルはそう言いガウラの右頬に手を当てる。
温かな光と消える痛みで、ケアルをかけてくれたのだとすぐに分かった。
「……他には」
「あ、えっと……」
おどおどと少し小さな声で、左頬を舐められたことを告げる。
ヴァルはギリっと歯を鳴らす。
そして、ガウラを抱き寄せると同じ箇所を舐めた。
あの時の男のものとは違う、優しいもので、嫌悪感は感じなかった。
でもヴァルはまだ納得していないのか落ち着きがない様子だ。
「他はっ!他には何をされた!!」
「それ以外は何もされていないっ!少し落ち着けっ!!」
どうにかしなければと叫び返す。
するとヴァルは力一杯抱きしめた。
「すまないっ……、あたいが傍を離れたばっかりに……っ」
震えるヴァルの声にガウラはハッとする。
(自分を責めないでくれ)
「いや、今回は私も油断してたんだ。
3ヶ月も何もなかったから…だから、心配かけてごめん…」
大分落ち着いてきた思考を巡らせ、ひとつひとつ言葉を紡いでいくガウラ。
「これは、私の落ち度で、ヴァルは悪くない。
それに、お前は助けてくれたじゃないか」
「……」
優しく、今日の恐怖を隠しそっと語る。
「お陰で無事に帰ってこれたしな。
だから、私は大丈ーー」
「馬鹿っ!!」
「!?」
ヴァルの言葉に驚くガウラ。
「大丈夫な訳がないだろっ!強がるなっ!!」
「ヴァル……」
「あたいの前では、強がらなくていいっ!!」
「……っ」
(あぁ、ダメだ。
こいつの前では隠し事なんてできっこない)
抑え込んでいた恐怖が一気に吹き出す。
声を上げ泣いたガウラを、ヴァルはそっと抱きしめ続けた。
ーーーーー
感情が落ち着いた2人は服を着替え、リビングでホットミルクを口にする。
その2人の瞼は、軽く腫れていた。
沈黙は続くが、酷く穏やかなもので、安らぎを覚える程だ。
「…ヴァル」
先に沈黙を破ったのはガウラだった。
「隣に座れ」
優しい声でそう言うガウラに従うヴァル。
ヴァルが隣に座ったのを確認すると、ガウラはヴァルに抱きついた。
「ガウラ?」
「……お前の前では、強がらなくていいんだろう?」
その言葉にヴァルは少し驚いたようだが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「あぁ」
短く答えると、同じようにガウラを抱きしめ、頭を撫でる。
(僕が見続けていたいのは、ヴァルのこの笑顔だ。
二度とあんな顔はさせたくない…させちゃダメなんだ。
これからも、ずっと笑っていて欲しい)
この穏やかな時間がいつまでも続けばいいのにと、そう願わずにいられなかった。
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