Past6:最初の記録
黒衣森での日課の散歩と変わらぬルート、けれどいつも以上に動物が少ないように思えた。
こういう日もあるにはある…そう思いながらエレゼンの淑女、ディッケル・ダーンバレンは家を目指して歩いていた。
緩やかな曲がり道を曲がろうとした時、ふと何かが横切るような気配を感じた。
ゆっくりと周りを見渡すが人はいない。
気のせいかと思い曲がり道を曲がり進むと、1つの小さな靴が落ちていた。
子供の落し物だろうか、もう片方はどこへ。
落ちている靴の元へ行くと、木の根元にもたれかかり少々衰弱している様子の子供のミコッテが眠っていた。
「おや、嬢ちゃん起きなされ」
目の前にしゃがみ伺うも起きる気配はない。
よく見ると体の左半分…目の周りや腕には大きな火傷のような痕があった。
どういう経緯でここに着いたのかは知らないが、とにかくこのままでは危ないと判断し少女を抱き上げ家に帰った。
─────
「……ゔ…」
「おや、起きたかい?」
傷口や汚れた服を処置しつつ伺うこと3時間、ようやく少女が目を覚ました。
覚醒したばかりでぼーっとしているその子を、様子を見ながらディッケルはゆったりと話しかけた。
「ここは私の家さね。
危ないものは何もない…ここにあるのはこの無駄に大きな家と林檎農園さ。
お嬢ちゃんは私の散歩道で倒れていたのを見つけたんだよ。
…あぁ、お洋服はボロボロだったから、一度手洗いして汚れが取れれば縫い直そうと思うんだ」
「……」
徐々に目が冴えてきたのか、少女はディッケルの方を見た。
ディッケルは初老の前…くらいの見た目をしている。
「顔の包帯はまだ外さないでおくれ、お嬢ちゃんの事は自分自身がようく知っているだろうけれど…とても私では治せるものではなかったからね。
応急処置しかできていないんだ」
「うん…あの……名前…」
「おや、私としたことが名前を教えていなかったね。
私はディッケルだよ、周りからはディッケルばっちゃんって言われているんだ」
「私は、私の名前…」
「お名前は?」
「………なんだっけ…」
結局その日は名前を思い出せないまま終わってしまった。
───
「私はおんぶができる歳ではないからねぇ、すまないけどこの即席松葉杖で我慢しておくれ」
「ありがとう、ございます」
「敬語はなくていいんだよ?」
「……わかった」
「さぁ、朝は採れたての林檎で作ったジャムと、柔らかいパンだよ。
……と言っても病み上がりだから食べれるのか分からないけど」
「お腹、空いてる。
夜中にグーグー鳴ってた」
「…あっはは!それならよかったやい!
さぁさ、食べよう。
そのグーグーなってるお腹を満たしてあげな?」
「うん」
本当にお腹が空いていたようで、ジャムをたっぷり付けたパンを2つもぺろりと平らげた。
怪我の割にはとても元気が良さそうだった。
ただあの顔の包帯に隠れている左眼だけはどうにかしてあげなければ…折角の女の子だというのにこの歳から傷をつけたままではお嫁にも行けないだろう。
「歯を磨いておいで。
ちょうど運良く今日は私の来診でね、ついでにお嬢ちゃんの傷も診てもらおう」
「ディッケルばっちゃんも怪我してるの?」
「怪我ではないよ、けれどお歳だからね。
足腰を診てもらうんだ。
弱ってないかとか、折れてないかとか」
「そうなんだ」
「そういえば、お嬢ちゃんの名前をどうしようかね」
「名前、結局思い出せなかった…」
「手がかりが1個だけあったんだよ。
けれどその名前を記憶のないであろうお嬢ちゃんが使うかどうかは、お嬢ちゃん次第さね」
「手がかり…」
「お嬢ちゃんの持ち物の中に、名前の刺繍が入っていたハンカチを見つけたんだ。
けれど、書かれていたのは恐らく苗字の方…」
「…知りたい」
「……リガン。それがお嬢ちゃんの苗字みたいだよ」
「リガン」
この苗字をどうする?
と目で問いかけるディッケル。
その目を見て考え込む少女。
暫くの沈黙が続いたが、少女がようやく口を開いた。
その苗字を使う、と。
───
午後に医者が家にやって来た。
朝に言っていたようにディッケルの足腰を診てもらい、次に少女の容態を診てもらった。
医者曰く、怪我をし衰弱していたからまずは栄養をつけよう、とのこと。
傷痕は恐らく残る箇所が多いだろう。
そして眼は…彼では治せない。
「治らないの?」
「私では治せません。
けれど知人の錬金術師…彼奴なら対策ができるかもしれない」
「先生、その方を紹介してくれるかい?」
「そうですね、彼に聞いてみましょう」
「よろしくお願いします」
「お、お願いします」
治せるといいね、と医者は微笑み帰宅していった。
それから次の日の午後に、錬金術師と会えると通達が来た。
あれよあれよとことが進み、保護されてから1週間後に錬金術師と対面することとなった。
彼は義足や義手を手がける錬金術師兼医者らしい。
義体の天才士とも威名を持つ彼は、少女を清く受け入れ診察した。
案の定、ディッケルと同じ見解で『左眼がない』と診断された。
なくなった理由は分からないが、抉られたにもかかわらず生きていたことが奇跡だという。
傷まみれの左眼周辺を治療し、義眼の整形を始めた。
「1ヶ月後になるけれど、これでようやくお嬢ちゃんの眼も治せるね」
「ありがとう、ディッケルばっちゃん」
「なあに、拾った私が責任を取るんだ、これくらい朝飯前だよ」
「朝ご飯は朝に食べてたよ?」
「ははは!お嬢ちゃんはジョークも今後お勉強に入れなきゃだねぇ!」
「えぇー!?」
───
そういえば、お嬢ちゃんの名前を決めたんだ。
朝の開口一番にディッケルはそう言った。
決めるのに時間がかかってごめんね、と言われつつ少女は気にしない素振りでディッケルの横に座った。
「私の名前、何にしたの?」
「ガウラ」
「ガウラ?」
「そう、ガウラだよ。
髪の色がその花の色にそっくりでね。
繊細さも持つお嬢ちゃんにピッタリだと思ったんだ。
どうだい?」
「うん、いい名前!
私にも名前がついた!」
「嬉しいかい?
ならば私を真似して自己紹介してごらん?
今日1つ目のお勉強だ。
…私の名前はディッケル・ダーンバレン。
果樹園の主です」
名前を言いつつお辞儀をする。
ガウラと名を決められた少女も、同じように挨拶をした。
「私の名前はガウラ・リガンです。
えっと……よ、よろしくお願いします!」
「うんうん、上手さね」
「本当!?」
「あぁ、本当だとも。
名前を気に入ってくれてよかったやい」
「ありがとう!ディッケルばっちゃん!」
それから1ヶ月後、無事に義眼も完成し難なく付けることもでき、眼の包帯も外すことができた。
左眼は光こそなく見えることもないが、ガウラはとても嬉しそうだった。
───
また4日後、医者が来診した。
先にガウラの診察を済ませ、ディッケルと医者の2人きりで話をしていた。
それはガウラの体調について。
食べる量こそ多いものの、体型や体重に大して変化が見られない…それが気になっている事だった。
医者はそれらの経過を聞き考察。
1つの推測に辿り着く。
ごく稀に存在するという『体内エーテルの少ない人種』。
ガウラもそうなのではないか、ということだった。
体内エーテルが少ない人種は、栄養をエーテルへ変換させようとして多くの量を食べるという。
だがエーテルとして蓄積される量は少ないため、いくら消化しても足りないのだそうだ。
「どうすればいいんだい?」
「1番効率のいい方法は、ガウラちゃんと同じかとてもよく似たエーテルの持ち主から半量のエーテルを分けてもらうことですね」
「………」
「とても、難しいことです」
「そうさね、あの子は1人だったから」
エーテルを分けてもらうことができないのであれば、欠かさず栄養を補給してやることが最善となる。
幸いガウラは10歳前後。
今から栄養を補給しておくと塵も積もれば山となり、大人になる頃にはある程度のエーテルを抱えられているだろう。
「では、私はこの辺で」
「あぁ、ありがとうございます先生」
─────
それからはガウラも元気な様子で果樹園でディッケルの手伝いをしている。
時々遊びに来る子供たちとも元気に走り回り、動いた分沢山ご飯を食べた。
義眼のメンテナンスも定期的に行い、ガウラはどんどん成長した。
これがガウラ・リガンとしての最初の記録である。
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